【一問一答】萩原 正太郎 トップチーム昇格内定記者会見 ※無料配信
来季のトップチーム昇格が内定したU-18所属・萩原正太郎の記者会見が10月23日、在学する松本蟻ヶ崎高校で行われた。これまでの来歴やプロ入りが決まった喜び、トップチームでの抱負などを語った。会見の一問一答をお届けする。
来季よりトップチームへの昇格が決定しました、松本山雅FC U-18の萩原正太郎です。まずはこのような場を設けていただき、ありがとうございます。
小学3年生の頃から育てていただいた松本山雅FCというクラブで、プロのキャリアをスタートできることを大変うれしく思います。 今まで自分を育ててくださった皆さまに恩返しができるよう、松本山雅FCのエンブレムに誇りと責任を持って戦います。応援よろしくお願いします。
――どんな選手になりたいですか。
今トップチームで背番号10番をつけて活躍している菊井悠介選手のようになりたいです。ポジションが自分もトップ下ということもあって、菊井選手のようにチームを引っ張っていくこともそうですし、技術やキックの精度でチャンスを作れる菊井選手を目指しています。正確なキックで味方のチャンスを作り出して、自ら得点でチームを勝たせられる選手になりたいです。
――自分自身の強みはどのように自己分析していますか。
ゴール前のアイデアだったりキックの精度、それから運動量が自分の強みだと思っています。
――具体的にどんな形でチームに貢献したいか、今思い描いているものはありますか?
まだまだ自分に足りないところも多いんですけど、少しでも早く試合に出て、限られた時間の中で結果を残すことで、ファンや地元の方々にも喜んでいただけるようになりたいと思っています。
――直近ではどのような目標を立てていますか?
まずは今も言ったように、1日でも早く試合に出ること。そして、その限られた時間の中で必ず結果を残すことを目標にしています。
――ファン・サポーターへのメッセージをお願いいたします。
自分は前線の選手なので、出たからには必ず得点に絡んで、チームに勝利を届けられるようにしたいと思います。
――小学3年生からの山雅との縁を振り返ってもらえますか?
小学3年生の時、南信に初めて松本山雅FCのスクールができました。そこのスクールに入って、小学4年生のときに松本山雅FCのジュニアのセレクションを受けて、それから6年生まで3年間ジュニアでプレーしました。中学3年間は地元のアディー飯田というチームで3年間プレーしたあと、高校3年間もう一度松本山雅FCのユースでプレーしました。
――山雅への思いや憧れもあったのでしょうか?
小学3年生の頃から、満員のアルウィンでプレーしている選手たちを見て、「松本山雅FCでプロになりたい」という思いが強くあったので、松本山雅FCのユースに入る決断をしました。
――夏にトップチームの練習に参加した時に感じたことはありますか?
初めて参加した時も含めて、今まで経験したことのないことがすごく多かったです。なかなか自分自身通用するものがなかったですが、その中でも通用するものもありました。出た課題としては切り替えの早さや、自分自身は身体が小さい方なので、フィジカルや体幹の面。切り替えのスピードや個の技術もそうですし、少しでも努力して一日でも早く差を埋めるようにしていきたいです。
――通用すると感じた部分はどんなところでしょうか?
若干慣れてきてからにはなってしまうのですが、ゴール前での点を取るというところだったりとか、キックのところだったりはプロの中でも少しやれた部分はありました。
――「信州から世界に羽ばたく」という意味で、長野県で育って長野県のクラブでプロになることに対する受け止めは何かありますか?
自分が生まれ育った地域でプロサッカー選手になれたことは非常にうれしいことですし、そこからまた自分の背中を見て、「プロサッカー選手になりたい」と思う子どもたちが出てきてくれたらいいと思います。
――U-18を選んだのは当然先にあるプロを意識してのことだと思いますが、実際に3年間活動して手ごたえを得た瞬間もありましたか?
自分自身、高校入って1年目はなかなか試合に出場することができなくて、トップチーム昇格とはほど遠いところにいました。けれど今年の4月に初めてトップチームの練習に参加させていただくことがあって、さっきも言ったようになかなか通用するものがなかったんですが、高いレベルの中でやっていくことの楽しさを感じて、「この世界で挑戦するんだ」という気持ちで努力してきました。
――「ハードワーク」に対する思いやこだわりはありますか?
ユースの練習で今年の中森大介監督が掲げているのが、「走り負けない」というところ。練習内容も走りのメニューが多くて、その中でも一切手を抜かずに、自分が一番で入ることを常に意識しています。それが現在の自分の体力だったり運動量に繋がってきていると思います。
――下伊那郡の高森町から親元を離れて山雅のユースでプレーするということを決めた中で、高校は公立校の松本蟻ヶ崎を選びました。学業などとの両立が難しい選択肢を選んだ理由と、どんな部分が難しかったかを聞かせてください。
松本山雅FCのユースに加入する中で、自分自身は勉強もしっかりやっていかなければいけないと思っていました。寮生活をしているんですけど、なかなか練習が終わってから勉強の時間、復習する時間を作るのは難しかったです。早めにお風呂に入ってやったりとか。あと自分は朝に強い方だと思うので、朝早く起きて勉強時間を作っていたりもしました。
――松本山雅のトップチームに昇格してから、最終的にどういうフットボーラーになりたいですか?
菊井選手のように10番をつけてキャプテンマークを巻いて、チームの中心としてプレーする選手を目標としています。いずれはキャプテンでチームを引っ張っていけるような存在になりたいと思っています。
――「山雅で活躍したい」という思いの根源には原体験があるのでしょうか?
小学4年生からのジュニアの頃は、練習試合で遠征がないときはほぼ毎試合ホームゲームを見に行っていて、たまにエスコートキッズだったりなどをやらせていただいたことがあります。選手と身近に触れたときにすごく感動したのを覚えていて、「自分もこうなりたい」とその頃に思ったのがきっかけです。
――高森から松本までは片道100km近くあります。送り迎えをしてくれていた親御さんにメッセージをお願いします。
学校終わってからすぐに迎えに来てくれて、そこから往復3時間弱かけて毎週送り迎えしてくれて、遠征があったりとか早い日にも欠かさず弁当も作ってくれいたので、親には本当に感謝しています。
このほか後日、RAZUSOのページで特別インタビューを掲載する予定です。