【信州ダービー特別企画】疋田幸也氏(ウルトラスマツモト代表)(後編)

「我々にとってはサポーターと市民の皆さんが全て」――。大月弘士×八木誠の取締役対談で、そんな言葉が聞かれた。そのサポーターの第1号としてゴール裏を牽引し、サポーター団体「ウルトラスマツモト」を立ち上げた疋田幸也氏。黎明期から現在に至るまで、どのような思いで山雅とともに歩んできたのか。

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因縁の信州ダービー
思い出の名勝負さまざまに

――2005年に北信越1部昇格を果たし、2006年の開幕戦は南長野での信州ダービーでした。

あの試合は何百人と観客が入っていて、選手入場時にグリーンフラッグを掲げました。2005年は長野エルザが1部を優勝して、山雅も2部を優勝していたので、優勝チーム同士の初戦でした。しかも南長野でのダービーなので、「これは何か仕掛けないといけない」と思って、グリーンフラッグを200〜300本作って持っていきました。選手入場まで隠しておいて、入場と同時に掲げて相手をビビらせて、先制して勝つと(笑)。まんまと作戦通りにいって、2-1で勝ちました。

――信州ダービーという呼称の走りとなったのは、2006年だったのではないかと思います。

2005年まではそんなに取り上げられもしなかったですし、そもそも同じリーグでもなかったですよね。個人的には2003年の応援を始めた年の対戦の時から、「長野には絶対に勝たなければいけない」と思っていたので、何とか盛り上げようと思ってました。今は信州ダービーで定着していますけど、最初はクラシコと言っていて。たまたま映画(北信越リーグを取り上げたドキュメンタリー映画。2011年に発売)の名前もクラシコになりましたけど、当時は「今週はクラシコだからみんなで気合い入れていくよ!」というふうに、クラシコで定着させようとしていました。

ちなみに今、映画クラシコのDVDって高宮のライオン堂でしか売ってないみたいなので、まだ見てない方はぜひ!10月29日には波田で上映もするのでぜひ!

でも、あまりクラシコという言葉の認知度がなかったみたいです。サッカーをよく知っている人からすればバルセロナ対レアルマドリードだとわかりますが、「これはピンときていない」と思ってすぐに方向転換して、信州ダービーに名前を変えました。そのほうがみんな認知しやすかったと思いますし、実際に定着しました。なので信州ダービーと名づけたのはたぶん自分だと思います(笑)。

当時は上田ジェンシャンもいて、長野県内でのダービーはほかにもあったと思いますけど、松本と長野の対戦を信州ダービーと名づけました。最初に「信州ダービー」とUMの掲示板に書いたら、長野のサポーターが「ダービーといえば、うちと上田ジェンシャンだ」とか言ってたらしいと聞いて、その時は「まあ見とけよ」と思っていましたね(笑)。

――どちらが先にJリーグにいくかというよりは、直接対決で負けてはいけないという雰囲気でしたか?

そもそも長野は松本より人口が多いですし、政界だったり財界の力も強かったと思います。だからこそサッカーだけは絶対に負けてはいけないというのがあって。山雅はクラブとしてまだ脆弱だったので、サッカーで負けていたら本当につぶされていたと思います。2008年は監督と選手を大幅に入れ替えて、結果も出ていない年でした。あの年にもし長野に先を越されていたら間違いなくつぶされていたでしょうね…。

その年は地域決勝の1次ラウンドまでいきましたが、山雅は上がれませんでした。長野も上がれませんでしたが、もし先に上がられたら本当につぶされてたので、それ相応の覚悟をもって絶対に負けないという気持ちで戦っていました。そういう気迫は間違いなく長野よりありましたね。

あとは向こうの後援組織「アスレながの」が立ち上がって、シーズンが始まる前にいきなりホームページが立ち上がったんです。大々的に突っ走るということが発表されて、これはマズいと。正直「終わった」とみんな思ったはずです。

――山雅はボトムアップではい上がってきましたが、それに対して長野が上からくるような感覚だったのでしょうか?

昔から「トップダウンの長野」と「ボトムアップの松本」というのはずっと言われてきました。それはサッカーに限らず、生活の中でもずっとそんな感じがしていて。その感覚は松本の人間の血に根付いているはずですし、サッカーでも対長野となれば血が燃える部分があると思います。

――練習場でサポーターが「絶対に勝て」と声をかけたり、スタジアムでの応援で相手を圧倒したり。それが長野のサポーターにも火をつけたと感じる部分はありますか?

正直パルセイロのサポーターに火をつけたと思う部分は全くないです。どちらかというとこちらが勝手に盛り上がっていて、ずっとおとなしい感じでした。「チームとして先に上がりさえすれば勝ち」みたいな感じは受けました。長野の人は松本に対しての対抗心をあまり表に出したくないというか、そういうのがあるのかもしれませんね。最後の信州ダービーになった2011年もそうですし、それまでもずっとそうだった印象はあります。

――2011年までの信州ダービーで印象に残っているものはありますか?

どれか一つというのはなかなか絞りづらいですが、それこそ2006年の開幕戦でグリーンフラッグを掲げて勝った試合は、本当に「快勝」というような感じでした。狙い通りの戦い方で、描いていた画がそのままできたという感じがして、本当に気持ちよかったです。

あとは2011年の天皇杯の県決勝ですね。延長戦で負けていて、最後にガチャ(片山真人)のゴールで追いついてPK勝ち。

それと2009年の全社(全国社会人大会)北信越の準決勝。リーグ戦は4位に終わって、地決(全国地域リーグ決勝大会)に勝ち上がるには全社に懸けるしかなくて。負けたらシーズン終了でしたけど、前半は0-2で負けていて絶体絶命の状況でした。そこから後半に3点を取って大逆転して、もうお祭り騒ぎでしたね。あのときはカッキー(柿本倫明)が決勝点を決めて、サポーターのほうに来たんですけど、抱きついたのが自分の兄貴でした(笑)。

ホームページか何かの写真で、カッキーが抜け出してシュートする直前の写真があって。サポーターがバックに写っていて、もうみんな拝んでいたんですよね。その思いが乗り移ったと感じる瞬間でした。

その当時はダービーで勝つことが全てでしたし、全てを懸けて戦っていたような感じがあったので、そういう意味では今と違った熱量があったと思います。

2003年のアルウィンでやった試合から始まって、「絶対に勝たないといけない」「負けたらつぶれる」というのがあって。サッカーだけは勝つという気持ちで、グリーンフラッグとかをいろいろと仕掛けて、サポーターの熱で勝利を少しでも近づけようとしていました。それで結果的にダービーが面白くなりましたし、どんどん熱量が上がっていったと思います。

松本の人間は長野に対して感じるものがあって、それをうまく使わせてもらったというか。ダービーとなると盛り上がって、街の一つのスイッチにできるかなと思っていました。

サポーターみんなの力を結集させ
スタジアムを勝利の舞台に

――Jリーグに上がってからは反町康治監督のもとでJ1を経験して、サポーターもどんどん増えていきました。その中でどういう集団を作りたいと考えていましたか?

まずは山雅を応援したいと思ってスタジアムに集まってきてくれる人たちなので、その根本はブレていないですけど、ULTRAS MATSUMOTOとしてできることはすごく限られています。あのスタジアムの雰囲気を作っているのは、ウチのメンバー以外のサポーターの熱量の影響がすごく大きいです。UMだけではとてもできないことが、山雅サポーターみんなでやればとんでもない雰囲気をつくれる。それはずっと変わらないことだと思います。そういう意味ではそれがベースというか、そういう思いでずっとやってきています。

昔から見ている人たちの中には「昔のほうが楽しかった」という人もいると思います。でもその時々で状況とか環境は違うので、当然同じようにはならないですし、そういう意味では昔は楽しかったという感情はないです。いまは山雅を支えてくれる人が増えたからこそ、できることもあると思います。それでもコロナでいろいろなものが変わってしまって、本当に以前のように戻るかは誰にもわからないですけど、声が出せなくなったのは山雅にとって本当に痛手だったと思います。

――当時の困難と今の困難で違った部分はありますか?

そもそも松本という地域の経済的な力を考えた時に、J1に2回行けたというだけでも奇跡だと思っています。「今年こそはJ1に行く」と言い続けてもなかなか上がれないチームがたくさんある中で、山雅がJ1に上がることができたのはとんでもないことです。それが2回もあったので当たり前のようになってしまいましたし、クラブもJ1に行ったからこそ「サポーターのためにしっかりとしなければいけない」となった部分はあったと思いますけど、いろいろなことが手一杯になっているかもしれないですよね。

クラブがそうやってしっかりとしようとするのは良いことだと思いますけど、それがサポーターにとって当たり前になってしまうのは個人的には少し違うと思います。なんでもやってもらうのが当たり前、与えられるのは当然という感覚になると、なんでも受動的になってしまいます。クラブの規模で考えたら足りないものがあって当然で、足りないものはサポーターが補えばいいですし、そうやって作ってきたクラブだと思っています。

――ずっとともに歩んできたサポーターからすると、それがある意味「らしさ」なのかもしれませんね。

ここ数年のJリーグを見ていても、お金のあるチームが必ず結果を出しているわけでもないですしね。いまはDAZNで世界の最先端が簡単に見られますし、ここ数年で戦術面はすごくレベルアップしている感じがします。山雅はJリーグに上がってソリさん(反町康治監督)がきて、相手に走り負けないとか切り替えの部分とかを徹底して、それでうまく勝率を上げてきました。でもいまはどのクラブもそれをやっていて、そういうところで優位性が保てなくなったのもあると思います。J2もJ3も戦術がすごくレベルアップしていて、ここ数年は勝つのがすごく難しくなっていますよね。

クラブ運営で考えた時に「来年はこれくらいの予算でやりましょう」と言っても、予算はあくまで予算であって。それをもとにお金を集めながら、チームづくりを始めて、相手チームが来シーズンどういう戦い方をしてくるかなんてわからない中で、そういういろいろなことを想定しながら、その時点でベストだと思える準備を必死にやったとしても、必ず結果が出るわけではないじゃないですか。もし、対戦順が違っていたら、もし、あのハンドを取られてなかったら、もし、芝生のデコボコでボールの軌道が変わっていたら、変わっていなかったら…。そんなほんのちょっとしたことでいくらでも結果が変わってしまうのがサッカーなので、本当にサッカーって難しいなと思います。

――ここ10年という単位で振り返れば、右肩上がりで来たかのように見えてしまいますが、足踏みした年だってあったと思います。現在も難しい時期ではありますが、その部分はどう考えていますか?

それこそ今年の入場者数は平均8,000人くらいですけど、JFLのときは7,000人くらいだったと思います。コロナの影響はあるにせよ、そんなに変わっていないんですよね。それはクラブもサポーターも真摯に受け止めないといけないと感じます。「J3だから」とか「コロナだから」というふうに思ったら終わりで、みんなが真摯に受け止めて、自分にできることはもっとあるんじゃないかと考えていくことが大事だと思います。

――それを踏まえた上で、10月30日にはサンプロ アルウィンでの信州ダービーが待っています。いちサポーターとして、どんなダービーを作り上げていきたいですか?

今年に入るまで何年も対戦はなかったですけど、地域リーグの頃から対戦していく中で絶対に負けられない戦いが続いて、それを勝ち得てきたのは間違いなくサポーターが作った雰囲気があったからだと思います。その雰囲気は今回も作りたいですし、その雰囲気を作り出すには、一人ひとりが自分にできることを考えて実行することが大事です。勝っているチームって、過度なプレッシャーよりもポジティブな感情の方が勝っていて、思い切ったプレーをできてるからこそ勝っていると思います。慎重に大事にいきすぎず、ミスを恐れずに思い切ったプレーをできるポジティブな雰囲気を作り出して、少しでも勝利に近づけるように、熱い気持ちを選手に届けたいですね。

――これまでの天皇杯県決勝とリーグ戦の2試合は、声出し応援がありませんでした。今回も声出しフルスペックでの超満員とはいかないですが、今までとは違ったスペシャルさを出せるのではないでしょうか?

天皇杯はリーグ戦と比べて注目度が違いますし、南長野でのリーグ戦はアウェイで行ける人も限られていました。そういう意味では今回のアルウィンでのダービーはまた別物だと思います。南長野には13,000人が入ったので、それを下回るわけにはいかないですね。