【編集長コラム】漆黒の水底から 天上の太陽を仰ぎ見て ※無料配信

徒労感。倦怠感。虚無感。
世界から一切の彩りが消え失せて、光の届かぬ水底で膝を抱えるような週末を過ごした。

それでも時間は残酷で、私たちを気遣って待ってはくれない。重い足取りで職場や学校に向かった方々も多かったのではないだろうか。言語を絶するような敗戦から5日が経過。負の感情を発散して、あるいは時間がある程度解決して、日常を緩やかに取り戻しているだろうか。アウェイ席から後押ししてくれた緑の友の、かすれた声は戻っただろうか。振り上げ続けた腕の、跳び続けた脚の、痛みは収まっただろうか。

感情の大きさを数値で表すことはできない。だが松本山雅に関わるおそらく誰もが、限界値いっぱいのマイナス感情を溜め込んだこの10日余。思えば自分も山雅だけで通算451試合を現地取材してきたが、ここまでの強烈な無力感にさいなまれることはなかったように感じる。次節まで2週間のインターバルがあるのは、ある意味で不幸中の幸いであるとさえ思えた。

それはもちろん、チームも同様。オフ明けの1日目、トレーニングは心なしか普段の覇気が感じられないように映った。つとめて前向きに振る舞う選手はもちろんおり、中でも橋内のシビアな口調はグラウンドに響いていた。そしてキャプテンの安東が練習後、整理した胸の内を吐露した。「全てを受け止めた。僕たちが相手より劣っていたし、へたくそだった。自分も含めてめちゃくちゃザコだった」。光の当たらぬ沼の底で、失意に沈んでいた。

シーズンの終わりなら、それでもいいだろう。たっぷり落ち込んで、会話して、自問自答して、再起するだけの猶予は十分にある。だがまだリーグ戦の10試合が終わったばかり。時間は待ってくれない。鉛を抱えたような心身を、無理やりにでも動かして前に進まなければいけない。もちろんそれは選手たちも理解している。「でも受け止めることは大事。ザコだから、ちゃんと練習するしかない」。安東はそう続けた。一寸の虫にも五分の魂、だ。

前を向くには、根拠が必要となる。「なぜ」あのような試合になってしまって、「どのように」改善していくのか。その道筋が明らかにならない限りは、誰を納得させることもできないだろう。サポーターをこれ以上ない形で手ひどく裏切って、失墜した信頼を取り戻すのは容易ではない。もちろん回答はピッチの中で示すものだが、それに至るロードマップをまず記しておく必要がある。

霜田監督に、改めて話を聞いた。まずは全体的な総括の一部として「なかなか自分たちの形が出せずにイライラして、さらに自滅したようなゲームになってしまった。やりたいことをやれない試合もある。そういう場合でも、しっかりとメンタルを持たなければいけないし、やるべきことにフォーカスしなければいけない」。プレス無効化+陣形の間延びという、一石二鳥のロングボールを使ってくる相手は前節に限らず多い。

「相手は1トップが競る。両ウイングバックは高い位置を取っているから、僕らのサイドバックはなかなか絞れない。真ん中で数的不利が生まれて、中盤の3枚に拾われる。それの繰り返しだった。わかっていてやられたのは僕の責任。それだけをやろうとしてきた相手と、繋ぎたくてイライラしているチームと、どちらが元気なメンタルでサッカーをできていたか」

まずはロングボールに対して起点を作らせない。全て跳ね返すのは不可能だとしても、FWにやすやすと収めさせるのはもってのほか。回収して自分たちの攻撃が始まるのか、相手に渡るのかによって展開は大きく変わる。橋内は試合後、「センターバックの選手たちに厳しく話をしたけれど、起点を作られてはいけない。こういうサッカーをするには、自分たち(センターバック)が広大に守らないといけない」と力説。こぼれ球を主に回収するボランチとの関係性も重要となる。

そしてボールを回収したと仮定する。対策を講じてくる相手に対し、どのように上回るべきか。指揮官は「プランB」の重要性を強調する。「例えば、繋げなければ(ロングボールで)ひっくり返して押し込んで、(手前に)スペースが空いてきたら繋げばいい。そうやってプランAからBに切り替える判断。『普段やっていることとは違うけど、今日この試合で勝つためには絶対に必要だ』という部分も大切になってくる」。守・破・離で表現するなら2段階目の「破」に当たる。

それは、冷静でなければできない。もちろんチームとして提示される要素もあるが、最終的にはピッチ内で選手たちが判断するのがサッカー。「感知し、発信し、共有し、実践する」というステップを11人で実現する必要がある。実際に前節も後半は蹴ろうとする選手と繋ごうとする選手が混在していたし、意思統一がままならないまま時間が経過。蹴るにしても、相手の5バックを揺さぶるような工夫が欲しかった。「片方の手に熱い魂、もう片方の手には冷静さがなければいけない」と指揮官は言う。

さて、思い出してもらえるだろうか。2020年に布啓一郎監督が就任して以降、それは永続的な命題となっている。判断の共有と、そのためのコミュニケーション。今回もまた、その壁に阻まれるのか。ましてや今季から取り組んでいるスタイルは、戦術的かつ精神的な「一体感」を保つことが大前提。そのピースが少しでも欠けたり他の方向を向いてしまったりすることは、絶大な危険性をはらむ。

その率直な問いを、ある選手にぶつけた。在籍5年目を迎える米原。迷いが生じているのかもしれない――と思いきや、頼もしい答えが返ってきた。「プレーモデルがない中だと結局どっちつかずで答えがないこともあるけど、今はプレーモデルがある中での変化になるから、立ち返れるものがある。中でもセンターバックとボランチは変化を起こせるポジション。それは絶対にやらないといけない」と語る。

これは、対策を踏まえてきた相手を凌駕するための処方箋。とはいえ相手がどう出てくるかは相手が決めることだから、どれだけ圧倒的な準備を積み上げたとしても100%の的中は難しい。だからこそ、立ち返るべき自分たちの幹を太くする作業がベースとなる。それは今までと同様、積み上げること。取り組んできたスタイルの「精度」と「強度」を洗練させ続けること。その仕組みで攻守とも上回れれば、何も言うことはない。

できるのか――?という疑問が生じるかもしれない。

その問いに、多少なりとも応えられるファクターがある。前節の後日、上位カテゴリのクラブと完全非公開のトレーニングマッチを行った。出場したのはもちろん、リーグ戦で出番が無かったり少なかったりしたメンバーだ。それでも立ち位置を取ってプレスをかわし、サイドバックは高い位置を取って前進。ボール非保持時も守備が機能したという。非公開のためスコアを記せないのが実にもどかしいけれども、霜田監督は「(キャンプ中の)札幌戦と熊本戦を思い出すような試合だった」と目を細める。

では、なぜそのように劇的な変化が生まれたのか。カギは「リマインド」だった。「自分たちの立ち位置でゲームが決まる、という話をした。そうしたら、実際にそういうゲームになった。きちんと立ち位置を取って安定してボールを動かせると、相手陣地に簡単に入ることができる。そうすれば失点も被シュート数も減る。プレッシングがかかってコンパクトを維持できる。そういうリマインドはやはり必要」と霜田監督は言う。

ひとまず浸透はしたものの、まだ付け焼き刃の段階なのかもしれない。だがリマインドして意識付けを繰り返すことによって、改めて立ち返ることができる。そして、トレーニングマッチながらも成功体験を得た。実際に指揮官もその試合に出ていた選手も、口調はすでに力強さを取り戻していた。「感情的には悔しい思いしかないし、2〜3日休んだからといって収まるものでもない。でも、やらなければいけない責任がある」(霜田監督)という思いで、自らを奮い立たせている側面はあるだろうけれども。

暗い暗い水底の泥濘からはい上がるために。
今は天上に仰ぎ見る、燦々とした橙色の太陽に届くために。
いま一度、昨季終了時からの「リマインド」をする。

「DoingよりBeing」。
どう在りたいか、を探った。
立ち返る家が欲しい、と願った。
そのために、指揮官を招いた。

描き出す「設計図」を共有した。
納得して、体得して、洗練した。
それでもまだ、道の途中にある。

絶対に演じてはいけない敗戦を、1度ならず2度も犯した。このスティグマは消えない。自滅したのだからなおさら頭が痛い。だから今はまだ、安東が言う通り雑魚なのかもしれない。であれば、だからこそ、“How”を共有して向き合わなければいけない。その先に大魚へと長じ、誰もが見たことのない堂々たる松本山雅を誇示しなければいけない。

特大の悲しみは、特大の喜びと等価交換であるべきだ。

編集長 大枝 令 (フリーライター)

1978年、東京都出身。早大卒後の2005年に長野日報社に入社し、08年からスポーツ専属担当。松本山雅FCの取材を09年から継続的に行ってきたほか、並行して県内アマチュアスポーツも幅広くカバーしてきた。15年6月に退職してフリーランスのスポーツライターに。以降は中信地方に拠点を置き、松本山雅FCを中心に取材活動を続けている。