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 こんなはずじゃなかった――。

選手やスタッフはもちろん、サポーターの皆さんもやり切れない思いを抱えているのではないだろうか。新型コロナウイルスの影響で中断していたシーズンが、4カ月の空白期間を経て6月末にようやく再開。中断期間中も選手や布監督の取材からは前向きな手応えが異口同音に聞かれ、「捲土雷鳥」への道筋はくっきりと描かれているように思われた。

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しかし蓋を開けてみると、思わぬ苦戦を強いられた。中位で踏ん張るのはおろか、順位表を下から数えた方が早いポジションがいつしか定位置に。もうすぐ前半戦の21試合が終わるが、その苦境は変わっていない。特にJ2ではクラブワーストとなる5連敗と苦しんでいた時期は、目を覆いたくなるような状況。山雅にまつわる多くの人々にとって、この事態は想定外だっただろう。

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それにはいくつかの要因がある。まずはケガ人の多さだ。試合をするごとにセンターバックが痛んで交代するケースが多発。橋内、常田、森下らがそれに当てはまる。さらに田中隼が右膝外側半月板損傷で長期離脱。このほか外国籍選手や杉本、吉田らがトレーニング場に姿を現していない時期もあった。

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これに伴い、選手起用も大胆にシフト。正確にはそうせざるを得なかった――という側面も否定はできないが、これまでリーグ戦の出場機会に恵まれていなかった若手を積極的に起用した。高卒2年目となる山本龍と榎本、大卒2年目の大野らだ。特に大野はデビュー直後の時期に致命的なミスを何度か冒したものの、それを糧としてたくましさを増している。苦闘の中でもこうした個々の成長が垣間見えれば、幾分かでもショックは癒される。

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布監督が志向する理想と現在地のギャップが小さくなかったことも、低迷の要因に挙げられるだろう。ピッチ内の選手が自律することを究極的な目標とし、「コミュニケーション」をキーワードとしながら試行錯誤を繰り返してきた指揮官。しかし正解を求めて選手は迷い、とまどい、悪戦苦闘した。その過程におけるピッチ内でのパフォーマンスが、一時期は「山雅らしくない」という言葉で語られた。

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だが、第19節栃木戦。試合後の選手たちのコメントを編集していると、現状打破へ向けた前向きな言葉たちが並んでいるのに目を丸くした。ハードワークを徹底している栃木と互角にデュエルし、走り、戦い、勝ち点1をゲット。試合後のロッカールームでは、攻守に獅子奮迅の働きを見せたセルジーニョが「こういうゲームを続けていけば僕らはもっともっと勝ち点を取れる」と呼びかけて選手たちの共感を集めた。鈴木も「出ているメンバーの中でしっかりコミュニケーションが取れてきている」と手応えを口にしていた。

そして考えられる最後の要因が、最大にしてもっとも悩ましい。背番号12――つまり、主役たるサポーターの存在だ。

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リモートマッチの第3節を除き、もちろん会場にはいてくれている。その存在や拍手だけでも選手たちの力になっていることは間違いないだろう。だが、本来のエネルギーはこんなものではない。ぎっしりとスタジアムを緑に埋め、試合前から終了のホイッスルが鳴るその瞬間まで間断なく選手を鼓舞し、苦楽をともに分かち合う。その膨大なパワーこそがサンプロ アルウィンを「魔境」たらしめていたのではないか。

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「静かなる熱き声援を」というアナウンスは、ウイルス感染予防を考えれば当然のこと。しかし、だ。今シーズン山雅に入った選手は自分たちの個人チャントも知らないだろうし、凱歌「勝利の街」がいかに心地良いのかもわからないだろうし、肩を組んで踊るアルプス一万尺の心地良い疲労感も味わえていない。

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スタジアム以外でも、選手たちは分断されている。トレーニングは始動日を除いて全て一般非公開で、ファンサービスで触れ合う接点がない。練習が終わっても会食はできず、街に出る機会も極めて限られるだろう。つまり、自分や山雅がいかに愛されて必要とされているか――を、身体性のある実体験として感じられる機会が皆無に近い。それにより、古株の選手たちが持っているような「街との結び付き」が、希薄にならざるを得ない。

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自分も選手の足元にも及ばないが、似たような経験があるからわかる。街の中や練習場、スタジアムなどで「頑張ってくださいね」などと声をかけられると、どれだけ心身が磨耗していても不思議と力がこみ上げてくる。もちろんSNSなどウェブ上でエールを送られるだけでも十分すぎるほどありがたいが、時間と空間をともにしている状況で直接投げ掛けられるそれは、無上のエネルギーとなる。

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ましてや1万数千人のスタジアムが、自分だけの名前を高らかに歌っていたら――果たしてどうだろうか。それに加え、日々の生活から街ぐるみの支援を全身で感じられていたらどうだろうか。どんな反応が起こるかは想像に難くないし、それこそが山雅を山雅たらしめてきた重要な根幹の一つ。低迷の要因をピッチ内の戦術面だけに求めることはもちろん可能だし、検証が必要なことも確か。しかし別軸で、ウイルスによって最大最強の力が大幅に減じられてしまった感は否めない。

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その問いをぶつけられるのは、考えうる限りただ1人しかいなかった。村山智彦だ。在籍して足掛け7年目となり、山雅の何たるかが血肉に溶けているGK。第17節山形戦から再び先発起用されたのに伴い、後日の練習後にZoomの囲み取材が設けられた。全ての記者らが質問し終えた後で再び挙手ボタンを押し、意を決して聞く。返ってきた答えは――やはり、想像していた通りだった。

「ありがたいことに練習後にあれだけサインを求めてくださるファン・サポーターがいるのはなかなかないこと。見られている緊張感もあるし、ファン・サポーターとの距離感もある意味で山雅らしさの一つだと思う」

「7年目になるけどアルウィンで声援を聞くと今でも鳥肌は立つし、勝手にモチベーションは上がる。今年来た選手はかわいそうと言ったら何だけど、1万人以上入るアルウィンの独特の雰囲気で戦えるということは僕らの強みの一つ。それを今年は経験できていなくて、ホームなんだけど…完璧なホームじゃない」

「それは僕らだけじゃなくて相手チームにも言える。そんなにピンチじゃないのにスタジアムが沸くから相手が錯覚する。サポーターの皆さんが一体となって声を張り上げたときに僕ら松本山雅の選手がギアを1つも2つも上げられるという現象は、今までいた中で感じられる。なのにそれを今は…感じられない」

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さらに、アウェイでも同じことが言える。再開後の山雅は3勝6分9敗で、白星はいずれもホーム。唯一のアウェイ勝利は、遠隔地の愛媛に約950人が大挙して駆け付けた開幕戦だけだ。従来ならどれだけ遠い場所でもスタジアムの一角には熱狂の緑が陣取り、「どんなときでも俺たちはここにいる」と声高らかに歌っていた。彼らの不在が勝敗に直結するとまでは言えないにせよ、関連性は否定できないだろう。

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もちろんプロである以上はどんな状況であれベストを尽くすべきだし、実際にそう意識もしているはず。だが、プラスアルファとなる直接の後押しが得られないことは、片翼をもぎ取られたのにも等しい。つくづく、ウイルスが憎い。パフォーマンスが上がらず人心が離れれば、さらに難しい状況に陥る負のスパイラル。どこかで食い止めなければならない。

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「サポーターあってのクラブ」という言葉は、サッカー界ではしばしば聞く。市民クラブならそれもなおさらだ。しかしその強大なエネルギーを原動力に物語を紡いできた山雅にとって、この状況はまさに未曾有の危機に他ならない。ただ、次節のホームゲームからは手拍子が解禁となる。拍手以外にも取り戻せた新たな手段で、せめて選手にありったけのエールを送ってもらえたら幸いだ。

編集長 大枝 令 (フリーライター)

1978年、東京都出身。早大卒後の2005年に長野日報社に入社し、08年からスポーツ専属担当。松本山雅FCの取材を09年から継続的に行ってきたほか、並行して県内アマチュアスポーツも幅広くカバーしてきた。15年6月に退職してフリーランスのスポーツライターに。以降は中信地方に拠点を置き、松本山雅FCを中心に取材活動を続けている。