【一問一答】柴田 峡監督(2020.9.28)※無料配信

――任命責任を取って自らも職を辞する覚悟はあったと認識しているが、その中で暫定的であれ監督となったことにどんな経緯があったのか?

(布前監督は)私自身が中心人物となってお願いして来ていただきました。こういう形での解任は、ほとんど私の頭にはないというのが大前提でした。会社は先日の5連敗のときも(解任の)話が出ていましたが、まだその時は私もそこまで気にすることなく前に進めることができました。そもそも私自身は、この決断に対しては肯定的ではありませんでした。それ(解任)をするなら私自身もその路線(辞任)で行かなければいけないと考えたし、現場だけそうするのは失礼だと思っていました。

選手たちにも話をしましたが、昇格を狙えるし若い選手も育成して融合できるというところで、ある程度の確信を持ってこの編成をしてきました。「調理する人がダメだから」という捉えられ方もするかもしれないが、そうではありません。今年に関してはサッカー界だけではなく世界中がイレギュラーな中でのシーズン。その中で、そんなに簡単に決断をして良いものではないという気持ちも私として感じていました。

(解任に際しては)私自身も責任を感じていたし、(編成部長を辞職する)申し出もしました。ただ、それが本当に責任を取る形なのかどうか…ということもあるし、一緒にチームを見てきたという経緯もあります。結果的に「やれることはやります」という形になりました。

――布前監督が残してくれたもの、鍛えてくれたものというのは具体的にどんな部分か?

先日の徳島戦は1日しかトレーニングをしていません。守備の話をしただけで、前日はセットプレーの練習だけ。オープンプレーの練習はほとんどしていないに等しいです。その意味では、徳島戦の攻守における95〜98%は布さんが残してくれたもの。あまり勝ち星に恵まれない中で進んできたチームで、彼らにしてあげられることは前向きにすることだけ。私がしたことは2%くらいで、あまり具体的に言うほどはやっていません。

今後はやっぱりアグレッシブにいきたいし、やることをもうちょっと整理したいです。「あらゆる選択肢があるよ」ということではなく、「この選択肢の中でまずはこれを選ぼう」というイメージ。選択肢が多すぎて逆に消化不良になってもいけません。少ない選択肢の中でできるだけ彼らが満足できるものを選んであげられれば良いと思います。

(布前監督には)あらゆる料理を提供してもらって、どれも味として問題ありませんでした。全ての落とし込み方がダメだったわけでも当然ありません。余分な要素を取り除いたというだけで、ほかの全ては布さんが用意してくださったもの。私は新しい料理を用意したわけではなくて、口に合わなかったものを隠しただけです。

具体的には、守備のスイッチや攻撃のスイッチなどポイントを少し明確にして示すこと。この間はミーティングと少しのフォーメーション練習だけで修正を試みました。彼らのベースは低いわけではなく、彼ら自身がこのクラブの決断を重く受け止めてくれた結果、ああいう頑張りに繋がったと徳島戦に関しては思っています。決して私が望んだ決断ではないですが、その中でも頑張れたことだけは事実。選手の受け止め方も含めてああいう方向になって良かったと思います。

――「山雅らしさ」というキーワードについて、2011年以降山雅に携わってきた柴田監督としてはどう考えているか?

「山雅らしさとは何か」とクラブとして定義しているわけではないしすべきものでもなく、やる監督の色で変わっていけば良いと思います。ソリさん(反町康治元監督)が8年かけてつくってきたのも山雅らしさ。ソリさんの1年目と8年目では「山雅らしさ」も違っていたと思います。サポーターが感じてくださっている「山雅らしさ」と我々が考えるそれと多少の相違点があるのかもしれないし、必ずしも正解はありません。

山雅はJに上がって9年目。(設立した)55年前に「山雅らしさ」という言葉が存在したのか――と言えば、おそらく存在していなかったと思います。Jリーグに上がってからの9年目での「山雅らしさ」という意味であるのであれば、まだまだ非常に歴史の浅いコンセプト。ヨーロッパの歴史のあるクラブは100〜150年と続いているクラブの歴史の中で変遷して熟成して、最後の沈殿物のように残った要素を「らしさ」や「フィロソフィー」と呼びます。それはアカデミーをつくるときも同じ。まだ歴史が浅くサッカーの文化も熟成されていないところで言葉ばかりが先行していくのが得策だと、私は思いません。定義して残ってしまうことで良い部分はあるが違った部分もあるし、細かいことに言及してもあまり生産性がないと考えます。

ただ、8年間の歴史の「山雅らしさ」が何であるかを考えたとき、それを最も体現してくれるための一人として布さんに来ていただくことを提案しました。だから布さんが「『山雅らしさ』とは何だろうか」と相談に来られたときも、「布さんらしくやっていただければそれが山雅らしくなっていくし、そこはあまり気にしなくて良いですよ」とずっと言ってきました。今までのものをつくってきたのはソリさんなのかもしれないし(前フィジカルコーチの)エルシオなのかもしれないし、鐡戸(裕史)なのかもしれません。皆さんのエッセンスが融合しての「山雅らしさ」で、普遍的ではなくて流動的なものだと思います。

ただ、サポーターが感じてくださっている「山雅らしさ」は僕なりに理解しているつもりなので、その部分はピッチ上に少しでも出していきたいと思っています。

――暫定的に指揮を執る状況の中で、今後にどのように繋げていくか

ある程度の土台を作ってくれたところでほつれが出てきて、それを補修しているだけ。作ってもらった土台を壊して積み上げている作業をしているつもりはありません。それを少しでも高くすること、あとは根本的に少し足りないと思われるところは土台を強くする作業。もともとみんなきちんとサッカーができるし、レベルの低い選手だと思ったこともないです。ただ成績やトレーニングの落とし込みの中でうまくできず、少しずつ自信を失っている選手はいます。そこで少しでも前向きにやってもらえるような姿勢でいくことは変えずにいきたいと思っています。