【報道対応】小澤 修ー社長・横関 浩一執行責任者 一問一答(2024.4.24) ※無料配信

小澤 修一 代表取締役社長

――4月24日の株主総会と臨時取締役会を以って代表取締役社長となりました。まずは率直な心境をお聞かせください。

まずは松本山雅という歴史あるクラブの代表取締役社長という立場は本当に重責だと思っていますし、プレッシャーを感じているのが正直なところではあります。けれども自分自身たくさんの心強い仲間がおりますので、そういった仲間とともに一緒に頑張っていきたいと思っています。

正直に申しますと、クラブはかなり厳しい状況に置かれていると認識しております。ただその中で、これから先の未来をどう作っていくかがすごく重要だと思っています。今回はそこに主眼を置いて、もう一回新しい松本山雅を作っていく体制変更になったと思います。

会社の代表が変わることでチームが急に強くなることは正直なかなか難しいことだと思っています。ただやはりチームを構築する体制やマネジメントの方法など、そのような部分は自分たちもしっかり向き合っていきたいと思っています。やはり地域に根ざしたクラブとして、まずはクラブの力を強くしていく。それによってチームが強くなる。そういう循環を生んでいきたいと思います。

また、創成期から携わってきた方々(今回で退任した非常勤取締役)に対する尊敬と感謝の念を、まず私自身が本当に強く持っています。その方々から受け取ったバトンは本当に重いと思っています。なぜかというと、あの方々はこの地域のために本当に身を粉にして働いてきてくれた方々です。そういった感謝の思いやエネルギーを次の世代に繋げていきたいというのが今の私の思いです。そこに関しても自分自身にしっかり矢印を向けながらやっていきたいと思います。

――社長就任への経緯などをお聞かせください。

ここ数年、これから先の未来を考えていくときに、山雅としてどういう体制を作っていくか。ずっと議論をしてきました。それは私が取締役になった段階から議論してきたことです。その中で次の代表を決めていく話になったときに、お話をいただいたことは事実としてあります。自分自身として即決はできなくて、ただ「本当にこの決断がクラブの未来にとっていいことなのか」が一番自分の中でポイントでした。そういった部分を常勤の役員含め関係者の方とコミュニケーションを取りながら少しずつ覚悟を決めていった形です。

これがいい選択だったのかというのは正直、今でも悩んでいる部分はあります。逆に言うと今はこれが良い選択だったと思えるようにしなければいけない使命感が非常に強いので、これを自分の中で覚悟として持ち続けたいと思っています。

――これまで選手を引退して以降、アカデミーのコーチや広報担当、営業などさまざまな分野を経験してきました。その経験をどのように生かしていきたいですか?

本当にいろんな立場でこのクラブに携わらせていただきました。応援していただいている方たちの力や熱量は、自分の中でとても感じています。それをどう地域に還元していくか、考えて進めていきたいと思っています。あとはその立場が変わると見える景色も変わってくるので、正直に言うと、今の自分にどういう景色がこれから見えてくるのかは楽しみにもしています。また今まで携わった方たちの力や知恵、知見をしっかり引き継ぎながら、新しく山雅を作っていきたいと思っています。

私自身トップチームのミーティングにも出させてもらっていますし、いろんなフットボールに触れる機会はあります。ただ私自身が選手として大成できたわけではないので、自分のサッカーの経験や知見で今のトップチームに生かせるものは本当に少ないと思っています。ただ例えば今で言うと下條(佳明)スポーツダイレクターとどういうコミュニケーションを取れるかとか、現場がどういうマネジメントをしているかとか、自分が経営として経験してきたことはある程度チームに還元できるものもあると思っています。フットボールという意味では、そういう部分の知見は少し生かしていきたいです。

――経営者として大切にしたいことはありますか?

創成期からずっと携わってきていて、「このクラブが何のために存在しているか」をすごく問いかけながら過ごしている状況ではあります。最初はただ「サッカー選手になりたい」と思って来た若者が、この地域に育てられて、今は「この地域のために何ができるか」を一生懸命考えるようになっています。そういった循環を次の世代にも伝えていきたいと思っていますし、そういった人が増えることでこの地域がもっともっと盛り上がっていけばいいと思っています。

この信州という土地は本当に、県外から来た私にとっては魅力的な場所でもあります。それはロケーションもありますし人の温かさもありますし、あとは地域の熱量がやはり一番だと思っています。今の自分の思いとしては、この信州という地域を世界に発信していけるような、そんな橋渡しになれるサッカークラブ・スポーツクラブにしていきたいと思っています。

簡単なことではないですが、私が来た2005年には「Jリーグに行く」という夢を信じてくれる人は少なかったと思います。けれども信じて行動し続けることで、10年後にJ1で戦うチームになることができました。「信州から世界へ」という言葉が少し大げさに聞こえる方もいらっしゃるかもしれないですけど、J3という状況だからこそ上を向いてそういった発信をすることで、「みんなで上を目指すんだ」という覚悟を自分自身も言葉にして発していきたいと思っています。

難しい状況ではありますが、やはりもう一回J1や、さらにその先のACLやクラブワールドカップ。ワールドカップに現役選手を送り込むこともそうだし、いろんな可能性があると思っています。世界中からこの信州という地域に松本山雅のサッカーと自然を体験しに来てくれる人たちをどんどん増やしていきたい。そういう夢物語を自分自身で描いて、トライしていきたいと思っています。

――自身として思い描く「社長像」はありますか?

正直に言うと、社長業のイメージがあまり湧いてない部分はあります。ただ自分ができることは、クラブが考えていることや思いの部分を発信すること。それをすることによって、より身近に感じてもらえる松本山雅をもう一回作っていきたいと思っています。

私自身が社長業としてできることは、まだまだ力不足で限られていると思っています。ただその分だけサポートしていただける仲間を迎え入れることができましたし、あと自分に求められているのは、地域に出ていって対話をすること。どんどん外に出ていって、いろんなところでいろんな方といろんなお話をさせていただいて、みんなで山雅を作って地域を元気にしていく作業ができれば、一番自分にとってはいいのかなと思います。

――まず何に着手していきたいか、考えはありますか?

(課題は)たくさんあって一言で言うのはなかなか難しいですが、「地域から本当に応援されるクラブを作っていく」ということが一番大事だと思っています。その上でおそらく結果というものがついてくると思うので、まずは自分たちに矢印を向けて、地域の方々とどういうコミュニケーションを取っていけるかという部分に主眼を置きたいと思っています。

自分ですぐに大きく変えられることも難しいですが、やはり実直にいろんなものに向き合うことが自分の持ち味でもあると思っています。一個一個の事業に対して向き合うこともそうですし、あとは外に出てステークホルダーの皆さんとまずはいろんな会話をして、現状の山雅の立ち位置とこれからどうしていきたいかを、地域の皆さんと一緒に考える時間にまず充てたいと思います。

その分だけ横関には社内の業務執行を責任者として背負ってもらうので、集客のプロモーションなども含めて活躍してもらいたいと思っています。もちろん最後は自分が責任を取る立場なので、自分も関わります。

――厳しい目が向くことも往々にしてある立場です。そこに対してはどのように向き合っていきたいですか?

大きな覚悟は必要だと思っていました。やはり「強くなる」ことと「地域を良くしていく」ことを同時にやっていかなければいけないし、その掛け算をどう作るかがすごく重要だと思っています。熱狂的に地域に応援されるクラブを作ることで、それが強さに繋がっていく。その掛け算をしっかり作っていきたいと思っています。

――昨季の決算が出て、2期連続の赤字で、幅も拡大しました。解消に向けてどのように進めていきたいですか?

結局はコストの圧縮と収入を増やすことでしか解決できないと思っています。そこはこの2年間で自分自身も責任があると思っているので、1〜2年でどう回復していけるかは自分の責務です。先ほど言った外に出ていくという作業は、サポーターを増やすこともそうですし収入を増やすことでもあるので、自分自身も営業にも関わりながら、泥くさく足を運んでやるしかないと思います。あとは入場料収入を増やすこともそうですし、どれだけお客さんを呼んで価値を高めていくかという部分が一番重要だと思っています。

――営業に関してはJリーグに参入して10年以上が経って、県内の主たる企業はほぼアプローチし尽くした部分はあるのではないかと思います。長野県の商圏が限られている中で、どのようにそこをもう一度増やしていきたいと考えていますか?

私も営業をやってきたのでわかるんですけど、本当に地道な作業でしかないんです。一気にユニフォームスポンサーを連れてこれるかと言ったらなかなか難しいと思うので、それにはやはり「地域に熱烈に応援されている」という環境を作るということがすごく重要だと思っています。それが逆にいうと収入にも繋がっていくと思いますし、既存のスポーツビジネスの柱であるスポンサー営業・入場料収入・物販・Jリーグからの分配金という4つの柱以外のものを作っていくことがすごく重要だと思っています。そのために横関にも来てもらいましたし、前社長の神田にも残ってもらいました。その職務を彼らにやってもらいながら、自分は外でアクションをしていきたいと思っています。

――熱烈に応援される環境を再構築していくアプローチはどのように考えていますか?

コロナ禍を経て自分自身も思ったことがあります。生きる価値というものは「何回呼吸するか」というよりも「どれだけ心が震える瞬間に出会えるか」がすごく大事だと思っていて、スポーツはそれを提供できる価値があると思っています。その瞬間をたくさん作っていくことと、あとはそれを発信して共感してもらえる人を増やしていくこと。これがすごく重要だと思います。20年くらいこのクラブに携わってきて、ずっと自分の中で意識してきたことでもあります。逆に自分がトップに立たせてもらうことで、そういうカラーがよりクラブに反映されていくんじゃないかなと思っていますし、そうしたいと思っています。

――その価値の根源を作るピッチ内のフットボール分野は、下條SDが権限を持って進めています。そこに対する評価はどのようになされていきますか?

コミュニケーションを取るしかないと思っています。下條さんに対する評価を僕らもしていかなければいけないので、ピッチの結果から逆算して、いろんなコミュニケーションを取りながら評価をお互いにしていくしかないと思っています。そこにはフットボールの知見がある程度必要になりますが、自分にその専門的な尖った知見があるとは思っていないので、フットボールに寄りすぎた議論というよりは、「勝たせるためのマネジメントをどうやっているのか」とか、そういう部分に主眼を置いていきたいと思っています。

――その意味では10試合を終えて3勝4分3敗で中位となっています。結果もそうだし、そこに至るプロセスや戦いぶり、マネジメントも含めて、現状ではどのようにご覧になっていますか?

サッカー界では結果が全てだと言われていて、どうしても結果が出てないと難しい側面が出てきてしまうのですが、一番大事なのはチームが同じ方向を向いて戦えているかだと思っています。ミーティングや練習も時間があるときは見させてもらっていて、まだまだ目は死んでいないし同じ方向を向けていると思っています。少しずつ結果を出していって、もっといい方向に進んでくれると信じています。

自分もそこに対して何ができるか考えていきたいと思っています。現場とは関係ないところですが、会社組織のトップが代わるというのはすごく大きなインパクトがあると思うので、少しでも追い風になるきっかけになるといいと思います。

――長年このクラブに携わってきて歴史を見てきた中で、この地域において松本山雅はどんな存在であるべきだと考えていますか?

昨今、「山雅らしさ」という言葉が盛んに言われています。いろんな捉え方が皆さんあると思うんですが、やはり「主体的に関わる人たちの集団」というのがイメージとして一番ぴったりくると感じています。「山雅のために」と思ってもらえる人がどれだけいるか。それは選手もそうだしフロントもそうだし、サポーターもスポンサーもみんなそう。そういう方たちがどれだけ今クラブに携わってくれているかということと、それをどれだけ増やしていけるかがすごく大きなポイントだと思っています。

――「主体的に関わる人」だけでコミュニティを形成して、J1時代の17,000人に到達することは現実的になかなか難しくもあると思います。離れてしまった方々も含めてもう一度来たい、関わりたいと思ってもらえるような集団であることが大事になってくるのではないでしょうか?

応援を強要することを僕らはできないし、してはいけないと思っています。やはり自然と応援したいと思ってもらえる組織体・クラブであるべきだと思っています。それには最初の話に戻るんですが、僕らが何を考えてどう思って行動しているかということを伝えるのがすごく重要で、それはオウンドメディアの発信であったり皆さん(報道)の記事の発信だったりがすごく重要なポイントになると思っています。そこも含めてみんなでやっていきたいのが正直なところです。


横関 浩一 代表取締役執行責任者

――今回は入社して間もなくの時期に代表取締役に就任となりました。経緯などを教えてください。

実は数年前から、Jクラブの関係者とお話する機会が多くありました。サッカー事業がどのような将来を見ているのか。協賛・放映権・観客・物販に依存している中で、既存の収益源も非常に重要だけれども次のステージに各クラブが入っていかなければいけない。そういう会話をさせていただいた際に、やはりいろいろな反応がありました。その中で松本山雅は私の話にすごく耳を傾けていただき、そういう話であれば一緒にやってみないかと。対岸で評論しているのではなく、リスクを取って自分で中に入ってチャレンジしてみないか――という話になり、今回の決断に至りました。

今回山雅に入ってからの状況であればもちろん愛着や思いは、非常に強くなっています。ただ各クラブとお話させていただいてきた中で、「ものすごく山雅に愛着があって、ピンポイントで山雅を良くしたい」と思って話していたということは、残念ながらありません。ただ、そういった中でお誘いいただけました。それは自分が持っていた信念であったり山雅のフィロソフィーだったりが一致したのではないかと思っています。

――大手広告代理店も含めてご経歴があります。どのように生かせるイメージがありますか?

経歴を見ていただいた中で、いろいろと感じていただいたことあるかと思います。ただ、一つ一つの経歴はおそらく大したことはありません。その中で全てが掛け算だと思っています。19年お仕事をさせていただいて、プロサッカー選手もそうですし、また全然違う多様性ある人たちと海外で接点を持って来ました。こういった掛け算をすることによって、もしかしたら違った価値を提供できる可能性があると思っています。その辺をできれば皆さんと一緒に一つ一つ積み上げていけばと思います。

(過去の業務については)メディアの皆さまとお仕事する機会もありましたし、営業としてクライアントの課題解決に務めることもありました。また定量的な情報を集約して何かしらの分析をアウトプットすることもありました。一方で新規事業にすごく力を入れてチャレンジしたときもありました。多岐にわたって仕事には従事してきたと思います。一方でプロスポーツクラブともここ3年ぐらいお話させていただいてきて、コンサルの部分も少し関わらせていただきました。そのようなところが私の経歴かと思います。

――松本山雅を外から見ていた印象はどのようなものだったでしょうか?

地域に「ハレの舞台」を提供している存在だと思います。昔はお祭りに行くと何か心がワクワクしたものです。そんなクラブだと思っています。一方で2019年にJ1を経験して以降、サッカーにおいても経営においても少し難しい状況が始まっているかと思います。関わる皆さまにとって、もしかしたらそのハレの舞台が少しずつ違うものに感じられている方がいらっしゃるのかもしれない。こういった部分を、「何とか昔のハレの舞台に戻す」ではなく、新たな第2章ではないですが、違った価値観にも対応できるハレの舞台をみんなで作っていけるクラブであると思っています。

――少し引いた視点から俯瞰していた中で、今回はクラブで権限を持つことになりました。どのようなことを進めていきたいでしょうか?

大きく2つあります。1つ目としてはやはりサッカーの部分です。こちらに関しましては責任領域としてやはり避けることができないと思っています。サッカーのコミットがどういう形になるかわかりませんが関与していき、J2、J1と将来的に目指していくということは避けられません。

一方で我々フロント側の仕事として、そこに対して「ヒト・モノ・カネ」をどういった形で用意して提供できるか。そのサイクルを基本的には生み出さなければなりません。投資目的でオーナーシップを持つ企業さまがいらっしゃるわけではないので、地域に何かの価値を提供しながら、地域の方々から経済的なサポートを継続的にいただけるように、我々が地域の成長のために提供できるものを考えることが先である気はしています。その結果として皆さまからサポートいただけるチームになっていければと思います。

――小澤代表取締役社長は長くクラブにいて歴史を知っている立場で、横関代表取締役は「新しい風」を吹かせる立場でもあるかと思います。

こういうときによく言われるのは、「変える」「壊す」。そういうことが一般的に事象としてよく起こってきました。ただ、「変えてはいけないものを探すこと」が僕の仕事だと思っています。ただ今まであった価値観、もしかしたら固定概念。社会とズレているだけでなく、もしかしたら松本にいらっしゃるサポーターともズレている可能性があるかもしれない。そういう変えてはいけない部分と社会とのズレ、サポーターやステークホルダーとのズレをいち早く見つけて、そこに着手していきたいと思っています。

――「変えてはいけないもの」について、現状で感じていることはありますか?

皆さんにとってハレの日になる場所を作ることは、変えてはいけないのではないかと思っています。スタジアムの周りもしくは地域、街として、「土曜日や日曜日になったらあの祭りがあるよね」という第一想起になっていくことが非常に重要だと思います。

ただ、皆さんの第一想起は多岐にわたります。土曜日とか日曜日になったら第一想起で「朝からビールが飲める」と思う人もいれば、「今週も山雅のホームだ」という人もいる。その第一想起になる人が昔は多かったのかもしれません。集客数は減っていますが、ライト層の離脱は基本的にどの業界であっても仕方がないこと。その荒波には逆らえないのは事実なので、皆さんの第一想起になるために何が大切か。サッカーの試合は見ないけど、スタジアムの周りに集まって例えばご飯を食べたり、選手と触れ合う場所があったり。サッカー教室が行われていたり、日曜日にパパが飲みに来るとか。「松本山雅」が昔のように第一想起になれるようにすることが大事だと思います。「ハレの日になる場所を作ること」はやはり変えてはいけないと思います。

――スタジアムまで行って、列に並んで、試合を見る行動にはほぼ1日を費やします。社会全体においてそういう構造を持つフットボールが第一想起になって、なおかつそこに足を運んでもらう、それを当たり前にする…ということは相当にハードルが高いと思います。その中で選ばれる存在であるためにどうするか、という部分で危機感があるのではないでしょうか?

危機感があります。サッカーだけではないですが、「90分じっとして何かをしてもらう」ということが不可能な時代に入っていて、本当に難しいと思っています。実は昔ならサッカーの競合や代替品は「日曜日に商業施設に行く」とかだったかもしれないですが、今はもうスマホだという話もあります。90分間プラスアルファの時間、継続的に興味関心を持ち続けてもらうことがものすごく難しいことになっているのは感じます。この危機感がまずあります。

さらに人によって価値観が多様化して掛け算されているので、スタジアムに来る理由とかスタジアムに関わる理由を、できる限り地域が必要としているものに応えていかないといけない。それが地域の成長に繋がって初めて経済的に継続的なサポートをしてもらえると思います。他のビッグクラブでは地域の成長がなかったとしても、外部から誰かが稼いだお金を投資目的などで入れてくれることもあるでしょう。山雅の理念で考えると、そういう人たちへの依存ではなく商圏が成長しないといけないと思います。

もしかしたらこういう話をすると「サッカーに集中しなさい」という話になるかもしれませんが、「サッカーに集中するために、地域の経済的な成長をサポートしたいんです」という順番です。ここはもしかしたら考え方や価値観が違ったり息苦しかったり、危機感の持ち方が少し違う方もいるかもしれないというのは、正直感じています。

――そのためのアプローチとして、フットボールクラブが提供できる価値の種類はどのようなものになると考えていますか?

皆さんのスマホ、この小さい箱の中にいろんな情報が詰まっているじゃないですか。でもほとんどの情報は、オフラインから生まれているものです。まず我々としてはコンテンツホルダーであれば、オフラインで物事を作れるというのは大きなアドバンテージです。このコンテンツ自体をどう磨いていくか。非常に大きな課題が突き付けられていると思っています。

――2004年に山雅でプレーしていた当時はどのような思い出などがありますか?

当時の監督とかコーチに結構突っかかったみたいです。「なんでちゃんと練習しないのか?」みたいな(笑)。夜であればみんな集まれるという固定概念があった僕と、たまに練習に行けばいいんじゃない?と思う人もいれば、実際に生活のために仕事があったりとか、いろいろな背景があったということでした。そのやり取りをしたことがものすごく印象深かったです。

その当時は選手側だったし、「周りを見たい」とか「興味を持つ」とかのマインドがなかったので、街に関する記憶というと少し難しい部分があります。それは(いろいろなことに興味を持てなかった)こちら側の問題でもあったと思います。

――2004年当時からの成長はどのように見ていましたか?

2つありまして、1つはもちろん驚きでした。10年ちょっとでこのようなクラブができ上がることは極めて稀だと思います。一方でもう一つ違う視点があって、少しサッカーから離れました。サッカーでクビになった側の人間だったので、何か自分がまた違うところで価値を積み上げて、社会に必要とされる人間にならないといけない状況でした。サッカーボールが蹴れなくなった人間なので、次は何で価値を作ろうかと必死だったので、正直に言うとサッカー界の中を見る余裕はなかった部分もあります。

――山雅と距離があったからこそ見られるもの、気付けることもあるのではないでしょうか?

おっしゃる通りだと思います。松本にその当時から残り、山雅に何かしらの関係者としていた場合、当然今の経験はないですし、もしかしたら提供できるものがもう少し限定的だったかもしれない。外に出たことによって、愛情や思いの部分はコアな方々にはまだまだ追い付かないですが、もう少し広い視点で何かお話ができるかもしれません。

――先ほど新たな収益源についてのビジョンに言及されました。具体的にはどのようなことをイメージしていますか?

私が思うのは、例えばサッカーに通じる教育であったり、サッカーに通じる健康促進であったり。大いに可能性はあると思います。「健康」をもっと具体的に言えば、例えばフィットネスなのか、健康教室なのか、はたまた栄養学なのか。どこに着地するかは結局、松本市もしくは11市町村の皆さんが何を求めているかによって大きく変わってくると思うので、落とす場所はこれから探さなければいけません。やはり地域の人たちが求めていることが第一なので、「サッカーを通じて」なのか「スポーツを通じて」なのか、はたまた「街を活性化する」だけなのか。そういった部分はここ10年でまた山雅の立ち位置を変えないと、社会から求められない可能性も出てくるかもしれません。

サッカーだけ勝っても、やはり商圏が小さい。サッカーだけ勝ち続けて、一つのパイの商圏の中でずっと戦うのか。商圏の中でも例えばA(健康)というカテゴリー、B(教育)というカテゴリー、C(観光)というカテゴリーに価値を提供してサポートいただくのか。非常に大きなターニングポイントになるのではないかと思っています。

――商圏の設定は基本的に長野県内にとどまるのか、それともさらに拡大させていきたいのか。その部分についてのビジョンはどのように持っていますか?

簡単には答えられないですが、ただ優先順位はあるのではないかと思っています。元々17,000〜18,000人のポテンシャルがあるわけですから、やはり地域の中から創出する優先順位がもちろん高いと思っています。それを言い換えれば、地域に求められていること、地域の課題を解決していくことの優先順位が一番。我々としてそこからさらに成長させたいということであれば、(商圏を)松本や長野県の外にも向けていかなければならないと思います。

結局それは30億のJ1クラブを目指すのか、100億を目指すのか。そうしたビジョンにも紐づいてくることだと思います。例えば商圏を広げずにJ3で300億のクラブになれるのであれば、それも一つの形でしょう。その形さえ築ければ、将来的にJ1には上がれると思っています。ただ順番的にはやはり、ポテンシャルのある近いところから順番に伸ばしていくということだと思います。