【特別企画】飯尾和也が振り返る 最終節のドラマ ※無料配信
いよいよ2017シーズンの最終節を迎える。山雅はアルウィンで京都に勝てば自力でJ1昇格プレーオフ進出が決まるところまで来た。思い返せば開幕戦で横浜FCに敗れたのを皮切りに、思うように勝ち点を積み上げられなかった印象がある今季。皆さんの中にも前半戦は「今年は厳しいかもしれない」と思った方もいたかもしれない。
しかし、チームは少しずつではあるが成長を続けてプレーオフでのJ1昇格をつかめる位置まで浮上してきた。もちろん、2014年の自動昇格時のようにトントン拍子に勝ち点を積み上げられれば言うことはない。ただ、14年のときと置かれた状況が違う。というのは、15年にJ1を経験したことで出た課題を踏まえて「J1でも勝てるチームにして、J1に定着できるチーム構築」をしているからだ。では具体的に、それはどのようなチームなのだろうか。
14年はとにかくロングボール中心の力ずくだった。しかしJ1にはヘディングの強いセンターバックがそろっているため、それで得点をすることは難しかったし、逆にボールを失ってしまい走らされる悪循環に陥った。そして自然と、勝てる可能性は低くなっていた。技術レベルの高い選手の多いJ1のチームと対戦すると、一度ボールを失ってしまえば奪い返すのは容易ではない。そのためボールを回され、体力の消耗も大きかった。
思い返してみると、J1で戦ったシーズンは残り数分で失点する場面も多々あった。実際にデータを見てみると、総失点54のうち76分以降の終盤に奪われたのは実に35%に上る19。J2降格が決まったセカンドステージ第16節神戸戦でも、1−0で迎えた85分以降に2失点して可能性がついえた。ボールを動かされて走らされる時間帯が多いため、最終盤で守り切る体力や集中力がなくなっていたのも大きな要因だった。
そこで山雅は、J2では苦戦するかもしれないのを承知の上で、新たな引き出しをつくろうとした。ボールを失う可能性の高いロングボールを少しでも減らし、ビルドアップからこだわってボールを動かし、少しでもクオリティーを上げる戦いを貫く。それによってチームは成長し、J1でもしっかり勝ち点を取れるチームになっていける。口では言うのは簡単だが、内容を変えながら勝ち点という結果を収めていくことは決して簡単ではない。
しかし、プレミアムの動画や対談を通じて選手の声を聞いてもらうとわかると思うが、反町監督をはじめ選手たちは試合に勝つことを前提とし、チームが成長するために原因を突き詰め、課題を克服しながらシーズンを送っていることが伝わると思う。その努力があって、下位に沈んでいた序盤からチームを浮上させ、プレーオフをつかみ取るところまできたのだ。
さあ、いよいよプレーオフが懸かる運命の最終節だ。このシチュエーションで思い出すのは2013年。当時は4位長崎(勝ち点66)から8位山雅(同63)まで5チームが勝ち点3差にひしめく、今季以上の大混戦だった。山雅にとっては勝つことと他会場の結果次第でJ2参入2年目にして初のプレーオフ進出が決まるという大一番。個人的な話にはなるが、僕もこの試合では飯田の出場停止に伴って31試合ぶりに出番が回ってきた。
そのシーズンで出場した直近のリーグ戦は4月末のアウェイ福岡戦だから、ブランクは半年以上。なのにクラブの運命を左右するようなビッグゲームにいきなり出場することとなった。「ここまで選手、スタッフ、チーム、サポーターが皆で戦ってきてつかんだチャンス。自分がミスしてプレーオフに行けなかったらどうしよう」。試合までの1週間はそう考えてしまうとたまらなく怖くて、不安やプレッシャーに押しつぶされそうになったのを今でも鮮明に覚えている。
だがそんな不安は試合当日、見事にかき消してもらうことができた。ウォーミングアップでピッチに立った瞬間、観客席のサポーターから降り注いでくる大声援。これで一気にマイナス感情が吹き飛んでプレッシャーから解放され、「やってやる!俺には大勢のサポーターがついている!」と勇気付けられたのだ。その鮮烈なインパクトは、はっきりと記憶に刻み込まれている。
そして試合は船山がPKを決めて1−0で愛媛に勝利。残念ながら他会場の結果を受けてプレーオフに出場することはできなかった。それでも、あの一体感あるスタジアムで戦った試合を思い出すだけで今でも鳥肌が立つほどだ。それほど皆さんの応援はエネルギーとなっていて、選手を動かす原動力となるのだ。
今回の最終節も選手には不安やプレッシャーは少なからずあるはず。でも、それをパワーにも変えられるのは皆さんの大声援に他ならないのです!!しかも、13年との違いは勝てば無条件でプレーオフという階段を上がれること。アルウィンを超満員にしてありったけの声援を選手に送り、まずはプレーオフへの切符をともにつかみましょう!
文章:コラソン 飯尾 和也
元 松本山雅FC センターバック。
ヴェルディ川崎、ベガルタ仙台、サガン鳥栖、横浜FCなどでのプレーを経て、2011年 松本山雅FCへ加入。松本山雅FCのJFL→J2→J1昇格へ貢献し、2014年シーズン終了後引退。 現在はメンタルサロン コラソンの代表を務める傍ら、講演会等も行っている。
Jリーグ通算311試合出場
U-16、U-18、U-19日本代表