【試合レポート】第34節 相模原戦 ※無料配信

取材日:2022年11月20日

 松本 1-0  相模原

サンプロ アルウィン/8,274人
得点【松】中山(90分)
警告【松】大野

田中隼磨のラストゲーム 白星で幕を引く

【評】最後は白星で締めくくった。J3最下位の相模原を迎えた山雅。攻守に精彩を欠き、主導権を握れないまま時間が経過していく。後半は開始と同時にパウリーニョを投入し、その後は中山、小松、山田をピッチへ送り出す。82分と86分に小松が好機を得るものの、シュートはネットを揺らせない。87分、現役引退を表明した田中隼磨がピッチへ。すると90分、田中隼磨が左足クロス。ファーにこぼれたボールを外山が折り返し、中山が詰めて先制した。このリードを守り切って3試合ぶりの勝利。20勝6分8敗(勝ち点66)の4位でシーズンを終えた。

ラスト・ダンスで見せた 極上の「魔法」

最後の最後に、とびきりの魔法をかけてみせた。

田中隼磨が87分、最後の交代枠でピッチに立つ。1年9カ月ぶりの実戦復帰。慣れ親しんだサンプロ アルウィンは、2020年の最終節以来となる。大野からキャプテンマークを託され、赤色のそれを右腕に巻く。向かう先はもちろん、右サイド。汗を流し続けてきた、譲れない仕事場だ。

すると、スタジアムの雰囲気が一変した。

同じ場を共有していなければ、わからないかもしれない。背番号3の登場に沸くサポーター。自身は手を叩いて、チームメイトを鼓舞する。心なしか、全員の背筋がしゃんと伸びる。ふわふわと所在なさげだったチームに、魂が吹き込まれた。

「入った瞬間、ハユさんの放つオーラとか醸し出す雰囲気がピッチの雰囲気を変えてくれた」。最後尾から何年もその姿を見ていたGK村山は、その変化を敏感に察知した。大野も「ハユさんが入ってからすごく声をかけてくれて、終盤にかけて点を取りにいこうという気持ちがピッチ内にあった。存在の大きさを改めて実感した」と振り返る。

そこからの山雅は、見違えるように躍動した。キックオフからの86分間が、この劇場のために準備されていた伏線であったかのように。

そして90分。山田からボールを呼び込む。

クロスだ。

右足ではもう、残念ながら強いボールを蹴ることができない。とっくに限界は超えている。それでも左がある。狙いすましながら、受け手に優しいボール。このスタジアムで何度も何度も、何度も見てきた軌道のクロスが、ファーサイドへ飛んでいく。

「これで飯を食べているからね」

アシストをマークしたいつかの試合後に語っていた言葉が、脳裏をよぎった。

ルカオが相手DFと競り合い、流れてさらにファーへ。そこには外山がいた。「最後にハユさんが入ったとき、絶対クロスが上がってくると思った」と、グラウンダーで鋭く折り返す。その先には中山。「練習でやっているような崩しだった」。2列目からゴール前に侵入し、ついに均衡を破った。

誰からともなく、自然と駆け寄っていく。
背番号3のもとへ。
歓喜の輪ができる。

約束されていたかのようなゴールだった。

あとは試合をクローズするだけ。プレスバックし、体をぶつけ、「その時」を迎えた。この試合の勝利とともに、23年間にわたる現役生活の終わりを告げるホイッスル。ひざまづき、両の拳を天高く掲げた。

「試合に出るだけでなく、勝たないと意味がない」

また、いつかの記憶がよみがえる。
そう。田中隼磨はいつだって、勝利を誰よりも希求してきた。そのために全ての時間を捧げ、ストイックに日々を送ってきた。

たとえこの試合で大きな活躍ができなかったとしても、決して責める人間はいなかっただろう。だがこの男は、最後まで予想を上回り続けた。発する覇気でスタジアムの停滞ムードをがらりと変えただけでなく、自らのプレーで勝利を手繰り寄せてみせたのだ。

これを魔法と呼ばずして、なんと呼ぼうか。
ただしそれは、確たる根拠がある魔法だ。

23年間、569試合、45,870分。気の遠くなるような時間を、たゆみなく闘い続けた者のみに宿る力。たとえピッチは遠くても、誰もがその偉大さを理解しているから。故郷のクラブに来て、常人には想像もつかない重責を自身に課してきたから。だから最後に、極上の輝きを放つ機会が巡ってきた。

「全ては日々の積み重ね」

その言葉に、歩みの全てが集約される。

「生きざまを示したい」

現役引退を発表してから、最終節に向けてそうメッセージを発していた。もうボールさえ蹴れない右足を抱え、それでもあらん限りの最善を尽くしてピッチに舞い戻ってきた。それ自体が奇跡に近い。それなのに、膠着していたゲームをわずか3分で変え、勝った。晩秋の冷たい雨に打たれ続けたサポーターの心に、火をつけてみせた。

「これが松本山雅ですよ」

試合後、取材に応じた田中隼磨。そう言って、満足げにうなずいた。

もちろん右ひざさえ許してくれるのなら、まだピッチに立ちたいのは当然。けれども、もう十分に闘った。チームのためにクラブのために、そして街のために身を捧げてくれた。明朝からはもう、目覚めた瞬間にひざの状態を気にかけなくてもいい。1しか出ないサイコロを振らなくてもいい。

生きざまをしかと見届けた者たちが何をすべきか――は、明白だ。田中隼磨が身を賭してサッカー人生のフィナーレを飾った3分間+アディショナルタイムを記憶に焼き付け、思いをつなぐ。数え切れぬほどの人々が陰日向に汗と涙を流し、歴史をつないできたこのクラブ。スローガンに掲げた「原点回起」は成せたのか。松本山雅は何を目指して、どこへ行くのか。

J3残留という結果に終わり、一時代を築いたバンディエラがスパイクを脱いだ2022シーズンの終わり。雨に打たれながらのセレモニーで、神田社長は「トップチームの強化を最重要にしてあらゆる経営資源を投下し、もう一度強いトップチームの山雅のサッカーを見せなければいけないと強く思っている」と口にした。

もちろん勝負事だから、毎回勝てるわけではない。けれどもせめて「伝わる」ものがなければ、自ずと人心は離れてしまう。サッカーのチーム構築と同じように、明確な設計図がなければ路頭に迷うのも無理はない。実らぬ「片想い」に疲れて物言わず足が遠のいた人も、おそらくはいただろう。一度消えかけた灯を再び燃え上がらせるのは、容易ではない。

雷鳥が再び立ち上がるための正念場は、この瞬間から始まっている。

敵将・薩川監督 山雅に送った「エール」

最終節の相手として迎えた相模原は船山貴之、水本裕貴、圍謙太朗の3人が先発し、古巣のピッチで健在ぶりを示した。そして指揮を執ったのは、薩川了洋監督。かつてアマチュア時代に長野を率い、信州ダービーで火花を散らした敵将だ。

試合終了後。ピッチの大型ビジョンでシーズン振り返りの映像が流れている間、スタジアムの一室でひっそりとアウェイ監督の会見が始まっていた。サンプロ アルウィンで11年ぶりに指揮を執ったことについて、率直な印象をたずねた。

「やっぱりサポーター。山雅はサポーターが選手の背中を押してくれる、すごく大きな12番目の選手なんだということを改めて強く感じた」

「自分がやっていた頃は地域リーグとかで何もない時代だったけど、そこからここまで大きくなってJ1にも行った。素晴らしい歴史だと思う。一度は下に行ったかもしれないけど力を溜めて、相模原と同じようにこの松本山雅も大きくなっていくチームだと思う」

今季限りでの退任が決まっている薩川監督。最後にぽつりと、往時を懐かしむように言葉を紡いだ。

「でもこのグラウンドはいいね。やっぱり、いいよ。最後にこのピッチに立ててよかった」

ピッチに立った元山雅の3人と、かつてのダービーを彩った敵将。田中隼磨の引退とともに、時の流れに思いを馳せる最終節となった。

編集長 大枝 令 (フリーライター)

1978年、東京都出身。早大卒後の2005年に長野日報社に入社し、08年からスポーツ専属担当。松本山雅FCの取材を09年から継続的に行ってきたほか、並行して県内アマチュアスポーツも幅広くカバーしてきた。15年6月に退職してフリーランスのスポーツライターに。以降は中信地方に拠点を置き、松本山雅FCを中心に取材活動を続けている。