【信州ダービー特別企画】飯田 真輝 CB² ※無料配信
今回もまた、信州ダービーがやってくる。J3第31節、舞台は我らのホーム・サンプロ アルウィン。リーグ終盤戦を迎えて互いに中位で苦しむが、ことこの一戦に関しては文脈の埒外にある。走り、戦い、勝つ。求められるのはそれだけだ。今回は2010〜19年に山雅でプレーした飯田真輝CB²に、JFL時代の信州ダービーや松本山雅のアイデンティティについて語ってもらった。
取材・構成/大枝令
信州ダービーで山雅デビュー
思い入れゼロからのスタート
――山雅に選手として加入したのは2010年夏でした。直後に信州ダービーがあったわけですが、当時の記憶を振り返ってもらえますか?
8月29日の信州ダービーが山雅でのデビュー戦でした。天皇杯の県予選決勝。その当時、チーム周りで「ダービーでパルセイロにだけは負けちゃいけない」と強く言われていた記憶はありません。温度感的にもそうだったように記憶しています。ただ自分は(東京)ヴェルディから来てデビュー戦になるわけだから、やらなきゃいけないのは当然。サポーターも結構(6,523人)入っていたので、味スタ(味の素スタジアム)の収容率を見ていた僕としてはすごく感動しました。
「ダービーだ」という思い入れはなかったですけど、ヴェルディにいたときは、指名された若手だけやるトレーニングの毎日だったんです。公式戦には出ないし、監督は練習を見にも来ない。どこかでどれだけ自分がやれるのかを知りたいと思っていたところで、期限付き移籍の話が加藤(善之)さんから来たんです。「やっと試合に出られるんだ」という思いがあったので、もう、すごく新鮮な気持ちでいました。もちろんそのときは全然山雅に思い入れも何もないですし、何なら半年でいなくなろうと思っていたわけですけど(笑)。
本当に試合ができるのが新鮮で、「その試合に勝ちたい」という気持ちがすごく大きかったですね。スタジアムの盛り上がりもすごく感じましたし、すごく感動した記憶があります。試合内容とか展開はほとんど覚えていないんですけど、なぜだか「ボールを回せる」と思って2回くらいゴールキックを受けていたイメージがあります。やっぱりJリーグと比べてJFLだとプレッシャーがちょっと遅くて、多分「やれる」って思ったのかもしれません。Jリーグに上がってから1回も受けたことはないですけど(笑)。
――1回もないということはないのでは?(笑)
ああ…1回は少なくともありますね。2018年のアウェイ岐阜戦。それこそジャンボ(守田達弥)からボールを受けて、古橋(亨梧)選手にかっさらわれましたよね…。
――その年限りで期限付き移籍満了ではなく、2011年は完全移籍に移行しました。当時の思いや経緯、決意などを教えてもらえますか?
やっぱりまずは「試合に出たい」というところからスタートして、試合に出るプラスアルファのやりがいも感じていました。サポーターは毎日のように練習に来てくれたり、試合での応援の熱量も感じていたり。あとは(加藤)善之さんが「トライアウトは出ずにうちでやれよ」と言ってくれたし、それ相応の評価もしてもらいました。だからトライアウトは出ず早々に「来年もお願いします」という話になったのは覚えています。
――その時代からサポーターの数や熱量は特筆すべきものがありました。
そうです。今は良い印象ですけど、当時は「全部筒抜け」という感じで戸惑っていました(笑)。スーパーで電話しながら買い物していたらいきなり声をかけられたりするし、「どこで見かけた」とか「どこに行っていた」とか。ある意味、今よりもすごかったかもしれません。サッカーしているときはすごく心地いいんですけど、オフザピッチのところは窮屈さを感じてもいましたね。そもそも、僕の生活リズムがあまり良くなかった…というのもあるわけですけど。
ヴェルディ時代は気付かれることが全くなかったんですよ。なんなら(元日本代表FW)大黒(将志)さんと一緒に歩いていても、全く。だけど松本は違います。この間だってスーパーで買い物をしていたら、おじいちゃんに「飯田くん、久しぶりに会ったね!」「頑張ってるね!」って声をかけられました。まだ現役だと勘違いしていたかもしれないですけど、ありがたいことです。
――いずれにしてもデビューがいきなりダービーに重なって、その後は長野を意識するようにはなっていきましたか?
その次の2011年。正直に言うとアルウィンでのリーグ戦はほとんど覚えていなくて、南長野のアウェイは少し記憶があります。後半の最後に僕がクロスからシュートを打とうと思ったら、手前にシオさん(塩沢勝吾)がいて「うわー、取られた!」って思ったのを記憶しています(笑)。
でも一番はアルウィンでの天皇杯県予選ですかね。PKで小松憲太が決めたのもそうだし、試合前のタイミングで当時社長の大月(弘士)さんか誰かに「(パルセイロには)負けちゃいけないぞ」という話をされたんですよ。当時はチームの中で別に温度感が高かったわけでもないし、監督のヒデさん(吉澤英生)もそんなに情熱たっぷりに話すタイプではなかったので、選手の中でそう言う感じはあまり芽生えていなかったんじゃないかなと思います。
でもスタジアムに入ると、雰囲気が違うわけです。ダービー専用のチャントがあるじゃないですか。「いつもと違う曲を歌ってるんだ!?」と思いましたし。あとはプレーヤーで言えば大島(嵩弘)くんが僕とタイプが似ていると思っていて、「彼には負けたくない」という気持ちを持っていました。
交わらない時期も 膨らむ意識
「上から目線」を定着させる戦い
――その年を最後に山雅はJ2に参入し、飯田さんの現役時代にカテゴリが交わることはありませんでした。ご自身も経験していませんし、「信州ダービー」に対するこだわりが強まる理由もなかったのではないでしょうか?
いや、それはないです。さすがにそれはないです。もう2012年に山雅がJ2に上がった時点で、「上下関係は明確になった」と僕は思っていたんですよ。それはやっぱりカテゴリが違うから。サポーターも僕らも上から目線で「ああ、パルセイロ上がってきたじゃん」という感じでした。「また上がれなかったじゃん」「また上がれなかったじゃん」の連続…みたいな。
パルセイロには向(慎一)選手とか富所(悠)選手とか都並優太選手とか、もともと知っている選手がプレーしていたので、彼らのことを気にもしていました。「また上がれないじゃん」「また上がれないじゃん」というのを、上からですけど。僕が山雅でプレーしていた時代は、もうその関係性が当たり前。もちろんパルセイロが同じ土俵に上がってきたらさすがに負けちゃいけないとは思っていましたけど、すでに「上下関係は明確」という認識です。
今も松本市と長野市の歴史的背景とかについて正確に知っているかどうかは別としても、「本当にいろいろあった」というのを街に出ていろんな人に聞いて、聞いて、聞いて、聞いて…聞き続けて今に至ります。でも以前はみんなそれを、もう「俺らは上にいる」というイメージで話をしていましたし、それが当然だと思っていました。
――この街で山雅の選手として戦い続けることで、初めて見えてきた「松本観」のようなものもありますか?
もともと僕が思っていたのは、やっぱり松本山雅って特殊で、サポーターの方がレベルが高い。山雅という組織もフットボールの質もそうだし、クラブの大きさとかもそう。全てを足したとしてもサポーターの方がレベルが高くて、結局のところ僕らはそれに追い付くためのプロセスだったと思います。
だから僕は「サポーターのため」というよりは「このサポーターがいるのにこの順位ではいけない」とか「このサポーターがいるのにこのカテゴリじゃダメだ」と思っていたんです。そう考えたときに、やっぱり「パルセイロとの上下関係」だけは絶対に譲ってはいけない要素。そこは俺らの方が絶対に上でなければいけない。それは対戦するしないに関わらず、サポーターの皆さんがちゃんと自慢できる部分として持っておいてほしいし、持たせたいと感じていました。
あと街に出てすごく言われていたのは、やっぱり「街が盛り上がる」ということ。勝つこと、昇格すること、優勝すること。J1の時もそう。爆発的な熱気が生まれるわけじゃないですか。経済効果になるし、飲食店の方々からも「アウェイのサポーターが来てくれた」「いろんな人が街に出てくれて助かる」という声を生で聞いたりしていました。当時はあまり比較の視点は持っていなかったですけど、やっぱり長野よりも松本の方が街に及ぼすサッカークラブの影響も大きいだろうし、山雅はその上がり下がりを生み出す熱源でもあります。そこにはこだわっていました。
――街を歩いていても、松本のコンパクトな繁華街に凝縮する緑色の密集率と、長野駅の善光寺口から出て広がる駅周辺のオレンジの密度はだいぶ違うような気がします。
この前、長野の市街地を歩きましたが、あまりパルセイロ色のあるポスターとかフラッグとかは目立たなかったように感じました。もちろん熱心なサポーターが集まるお店とかはあるんでしょうけどね。
僕らは松本にずっといて、パルセイロの話はいくらでもサポーターからされてきたわけです。カテゴリが一緒だとか対戦の有無に関わらず、やっぱりなぜだかパルセイロの話になるんです。「パルセイロ、上がってきたね」とか「パルセイロ、今年もダメそうだね」とか。皆さん上から覗く話し方をされるから、僕もそれを聞いて「皆さんの中でも上下関係が明確になったんだな」と思ってきました。意識しすぎてもう逆に好きなのか、それかイジりたいのか(笑)。だから僕自身もサポーターを通した目でない限りは、別にライバル視はしていなかったです。
――そのスタンスは今でも変わっていないのでしょうか?
基本的に現役時代も今も、松本に住んでいるとかは抜きにして「サポーターのために」という理由が自分の中で大きいんです。だから、そうじゃない限りパルセイロという名前が出てこないわけです。あとは「山雅を全国区にしたい」という野望を持っていますけど、そこにパルセイロうんぬんとは別の話です。ただ、信州ダービーは去年の南長野(長野Uスタジアム)が一番盛り上がっていた印象があるので、そういう戦いを上のカテゴリでやれたらもっといいことになるんじゃないかとは感じています。
15年ぶりのダービー敗戦
街にオレンジの侵略を許すな
――非常に不本意ながらJ3に来て、去年から合計5回対戦しました。今言及されたのはリーグ戦の初顔合わせですね。チームの戦いについてはどう見ていましたか?
去年の名波監督の持っていき方は見ていませんでしたが、南長野のゲームは去年の山雅でもベスト3ぐらいに入るぐらいのいいゲームだったように感じます。やっぱりサポーターの熱が生み出すスタジアムの雰囲気が選手に伝わって、気持ちの入ったゲームになったなと。天皇杯県予選は(田中)想来がミラクルを起こしましたし、うちにとってはすごく重要なゲームだったんじゃないかと思います。
ホームは15,000人が入ってくれました。コロナもあったし僕が離れていた時期もあったので、「今日すごいな」と思った一方で「これが普通のアルウィンじゃん」と思ったイメージはあります。なんなら「ちょっと今日は声量小さくない?コロナでブランクあったからなの?」とか思っていました(笑)。試合もしっかり勝てましたし、良かったです。
――ところが今年は、負けています。しかも、2回もです。
天皇杯県予選はショックでしたね。ゲーム内容とかとかはあまり気になっていなかったかもしれないですけど、アルウィンでパルセイロにあの状況で負けて、しかも大野(佑哉)選手にパネンカされたというのは…まあ…かなりショックを受けた覚えはあります。
だから本当に、次です。今うちの仕上がりは他のチームよりいいんじゃないかと思っているので本当に楽しみですし、あとは(小松)蓮がもう1回爆発してくれれば。蓮が得点王になれれば昇格できると思っています。
――トップチーム強化本部の立場として、ダービーに向けたミーティングも見ていたはずです。霜田監督のマネジメントや「信州ダービー観」はどう感じましたか?
昨年のことはミーティングに出ていないのでわからないのですが、今回のダービーを前にして、チームのミーティング会場に松本市の臥雲(義尚)市長が来てくれました。そこで松本市と長野市をめぐる歴史的な背景や臥雲市長の思いを語ってもらい、そして「サポーターも伝えてくれているように松本の誇りだ」とチームを激励していただきました。
臥雲市長には感謝しかありません。それを踏まえた霜田監督の話も、松本山雅、松本市を深く理解して、一つ一つ言葉を選んで伝えていました。チームスタッフとして元選手として、そして松本市民として胸が熱くなりましたし、これは必ず選手一人一人にも伝わっていると思います。
――10月15日のダービーに向けた期待を聞かせてください。
アルウィンでやれる強みはうちにあります。そこに向けて会社も力を入れて頑張っていますし、チームはシーズン終盤にかけて仕上がりが良くなってきていると思うので、最高の舞台でいいプレーが見れると思います。蓮とかはJ2を優勝した2018年のサポーターの盛り上がりとか、僕たちがパルセイロとの上下関係をはっきりさせていたイメージも持っているかもしれません。プライドを持って戦ってほしいし、ゴールに期待もしています。
あとは(木曽出身の)三田(尚希)選手にゴールを決められて負けるのはさすがに避けていただきたいかなと。ただ、彼や蓮だけでなく、県内出身の選手が活躍する場になるかもしれません。そういう意味での盛り上がりもあるかもしれないし、そうでなくても注目度は高い一戦。しっかり勝ち切ることで自分たちの順位を上げることにもつながるし、その後の流れも良くなると思います。期待しています。あとは大野選手も含めて、宮阪選手、山本選手の成長した姿も元チームメイトとしては見せてほしいと思います。
――活躍されすぎるのは困りますが(笑)。私としても2009年に初めて山雅を取材して以降、1回も公式戦で負けた経験がなくて、負けたらどんな感情になるのか想像できなかったんですよ。それで今年いざ経験してみたら、思った以上に地獄でした。サポーターの皆さんの喪失感を思うといたたまれません。先ほどの話にもあったように「上下関係をわからせる」ことは必須で、自分たちが下になるわけにはいきません。
もし負けたら、パルセイロのサポーターが松本駅前で呑んで帰るんじゃないでしょうか。それだけは絶対避けたいです。試合は午後1時キックオフですよね。自分がその立場だったら絶対、オレンジのユニフォームを着て意気揚々と呑んで帰ります。2018シーズン、優勝・昇格したとき。松本駅前が緑のユニフォームを着たたくさんの笑顔であふれ、勝利の余韻に浸っていました。そんな感動的な夜を再現してほしいと切望してやみません。